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カメラに追われる毎日から解放?超有名プロ選手の息子が背負った日々

カメラのメンテナンス

最後の早慶戦で恩返しの本塁打、新たな道への第一歩・・・
試合開始前、慶應義塾大学野球部の清原正吾選手が最初に目を向けたのは、神宮球場の内野席でした。
たとえ多くの観客に紛れていても、「すぐに見つけられる」と言います。白髪が混じる頭と広い肩幅。いつも試合開始の1時間以上前には、父である和博さん(57歳)がそこに座っていたのです。
超有名プロ野球選手の息子であり、何かとメディアに取り上げられ、カメラを向けられることが多かった正吾さん。
今後は新たな道へ踏み出し、カメラに追われる日々からは解放されるといいですね。
(※2024年12月16日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

父の偉大な背中を背負いながら歩む決意

父は甲子園で2度の全国制覇を達成し、プロで通算525本塁打を記録した伝説的な選手です。そんな父を持つ清原正吾選手は、大学で6年ぶりに野球に復帰して以来、「清原の長男」という肩書と常に向き合ってきました。
特に「4番・一塁手」を任されたこの1年間は、その影響を強く感じる日々でした。東京六大学野球のリーグ戦で1打点を挙げれば、試合後の取材で指名されるのが常でした。例え打てない日でも、インターネット上には彼に関する記事が掲載されました。
「父の存在をプレッシャーに感じますか?」
そんな質問を記者から何度も投げかけられることもありました。そのたびに、正吾選手はあえて強い言葉を選んで答えてきました。
「父の息子として生まれた以上、その運命を背負って生きていく。それは使命であり、そこにネガティブな要素は一切ありません」
正吾選手のその言葉には、偉大な父への敬意と、自分自身の道を切り開く強い意志が込められています。

プロへの挑戦を決意した先に見えた現実

初めて主軸として臨んだ春季リーグ戦の成績は、打率.269、本塁打は0本と、プロの世界を目指すには物足りないものでした。
プロへの想いを問われても、清原正吾選手は「今はこの1年を全力でやり遂げることしか考えていません」と明確な回答を避け、その姿勢には迷いが感じられました。
そんな彼がプロ志望届を提出したのは9月のことです。
両親と何度も話し合った末、「父の背中を見て、プロの舞台が夢のある場所だと感じ、挑戦する覚悟を持てた」と決意を固めたそうです。
12球団へのアピールの場ともなった秋季リーグ戦では、10月24日のプロ野球ドラフト会議までに公式戦初の本塁打を含む2本塁打を記録しました。
しかし、チームを勝利に導くほどの目立った活躍はできませんでした。
迎えたドラフト会議当日。慶應義塾大学の記者会見場には多くの報道陣が詰めかける中、清原正吾選手の名前が呼ばれることはありませんでした。
3時間以上にわたる中継を見守る彼の胸中には、一体どのような思いが渦巻いていたのでしょうか。

恩返しの一打で魅せた父への感謝と覚悟

3週間後に迫った最後の早慶戦。その日、清原正吾選手の目には強い闘志が宿っていました。「家族や支えてくれたすべての人に恩返しをしたい」という思いを胸に、彼はその誓いを果たします。
1回戦の6回、無走者の場面。響いた快音に、約2万6,000人の観客が息をのみました。正吾選手も一瞬立ち止まり、ボールの軌道を追います。
その白球は左翼席に飛び込む大きなソロ本塁打となり、神宮球場に歓声が湧き上がりました。
その堂々としたダイヤモンド一周の姿は、かつての大舞台で活躍した父親の現役時代と重なります。
本塁を踏んだ正吾選手は、白い歯を見せながらバックネット裏を指差しました。この一打を一番見せたかった人がそこにいることを知っていたからです。心の中で叫びます。
「見てくれたか!」
その思いに応えるように、父は笑顔で左手を振り、周囲の観客からも拍手が贈られました。
早慶戦を2連勝で終え、大学最後の打席は空振り三振。しかし正吾選手は笑顔を浮かべながら言います。「僕らしくていいんじゃないですか」。
そしてこう続けました。「僕を応援してくださったたくさんの方々の存在を追い風にして、毎日練習に励んできました。僕自身、やりきったと思います」。
清原正吾選手は最後の試合で、支えてくれた人々への感謝と覚悟を鮮やかな一打に込めました。

家族への想いとともに歩む、新たな人生の決意

「大打者の息子としてプレーする重圧はない」と清原正吾選手は繰り返し語ってきました。しかし、それは本音というよりも、自身を奮い立たせるための呪文のようにも感じられます。22歳の若者が抱えたその葛藤は、彼の心を縛るものだったのかもしれません。
しかし、正吾選手を間近で見てきた慶應義塾大学の堀井哲也監督は、その見方を穏やかに否定します。
「彼はプロの舞台で活躍するお父さんの素晴らしさと厳しさを身近で知っています。その目標を目指したからこそ、強い意志を持つことができたのでしょう。普通の努力では、ここまでたどり着けません」。
正吾選手が大学で再び野球に挑戦した理由のひとつは、社会復帰に向けて努力する父親に活力を与えるためでした。そして目標を達成したとき、彼は「ほっとした」と語っています。記念すべき3本の本塁打のボールは、それぞれ父、母である亜希さん、そして同じ道を歩むであろう弟の勝児選手(慶應高校)に贈られました。
独立リーグなど複数の球団からオファーが届いていましたが、11月24日、野球部を通じて報道陣に次のように発表しました。
「今日まで真剣に悩み抜いた結果、これからは野球ではなく、新たな目標を持ち、社会に出る準備を進めることを決めました」。
その選択は、周りの誰かのためでもありました。「清原和博の長男」としての役割を全うし、大学野球をやり切った正吾選手。その道のりは、途切れていた家族の絆を再び結びつけました。これからは、「清原正吾」として歩む人生が待っています。
カメラに追い回される日々からは少し解放されるのでしょう。
本人や家族はホッとしているのかもしれませんね。